純研博客
 
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浜松駅周辺の旅

4月27日

授業で浜松駅周辺を旅する。
駅の南口集合。
まだ女子しかいない。
ぎゃ!
やっと全員集まる。
課題をやってない人がちらほら。
駅南に怒号が響き渡る。
「最優先でやれ!」
うを、こえーよ・・・
がんばります・・・

旅のコースは
駅→南十字→平田踏切→ロータリー→ZAZA→神明町→寿司屋→たけのこ→東田町
って感じ。

南十字は水曜日だったので閉まってた。
まぁ怖いけど。
しげさんがイモ買ってた。
俺にくれた。
先生が近づいてきた。
怒号が響き渡るかと思った・・・
あぶねー
自害寸前だった。
どっちかというと夏侯傑状態。

平田踏切跡はイトーヨカドーの横です。
線路の跡がそのまま道路になってて素晴らしいと思った。
景観面で必死に整備された感があってよいと思う。
ただ、ブラジル人が集ってるよね・・・
ぎゃ!

バスのロータリーの周辺にスズキの看板がある。
昔の写真を見るとSの看板。
ちょっと感動。
がんばれスズキ。
僕はスズキ信者です。
ダイハツなんかに負けないでください。

ザザにつく。
ザザの南は小さい古い店が並んでいる。
西側には古い蔵も残っている。
市街地再開発・土地区画整備事業の該当・非該当が見事に現れていると思った。
ザザの上にはマンションがある。
商業活性化のために機能分離・純化を抑える作戦。
この時ほど四日市の論文を読んでて良かったと思うときはない。

R257を北上
昔ながら(大正から)の店が残ってる。
それにしても資料を細かく作った先生は偉大です。
佩服!

あとは行きつけの京都ママのスナックたけのこの前を通過して、東田町へ

かつて問屋が多かったらしいです。
Y電気とS製菓は評判が悪いです。
近くにスーパーがないのが悩みの種です。
それにしてもいいとこ済んでるなぁ

やっぱりガイドさんがいる旅は楽しいね。
勉強になります。
我累了。
告辞。



4月28日(木)10:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | 地域社会と情報 | 管理

水窪訪問1


2005年4月21日

水窪に行ってきた。
無計画だった。
途中の看板を見ながら適宜訪問先を決める。
まず最初に水窪の商店街を訪れる。
浜松で言うとアーケードなしサザンクロスのような街並みであった。
服やクリーニングの店しか目に付かなかったけれども。
買回品を売っている店、最寄品を売っている店をそれぞれ数えればよかった。
あと、やたらと商店街が長い。
500m~1kmはあったと思う。
商店街を見て思ったのが、家なのか商店なのかわからない建築物ばかりだった。
商店だけで1kmならばすごいけれども、家の間に商店があるような街並みだったので商店は思ったよりも少ないのかも知れない。
平日にも拘わらずお昼のスーパーには結構人が集まっていた。普通のスーパーだったのか気になるところ。
入れば良かった。
昼食を売店&レストランのようなところでいただく。
売店では佐久間、水窪、龍山だけでなく、豊根、富山村、(南)信濃、糸魚川などの名産品が売られていた。
水窪は栃と柚が有名らしい。
おみやげには水窪の豆腐屋さんが作った豆腐プリンを買った。
豆腐の牛乳プリンな感じだった。
豆腐の食感。
甘い豆腐の味。
食堂では地元の女性が料理をしていた。
水窪で獲れた野菜の天ぷらを食べた。

そのあとは町役場に行って記念写真を撮った。
郵便局も記念撮影した。
水窪には水窪警察署がある。
龍山村も水窪警察署の管轄なのかも知れない。
もしかしたら佐久間も。
そう考えると北遠の中枢は水窪ということになる。
飯田線も豊橋から水窪の方へ走ってきているし

その後、高根城を訪れる。
水窪市街からも見える山の上
すなわち山城
山城っていっても月山富田みたいに大きい山ではないけれども登るのは疲れた。
高根城は雰囲気が足助城に似てた。
城の新しさとかも似てた。
なんであんなところに城がって思ったけど、水窪に秋葉街道が通っていたことを考えると納得がいく。
信州南下軍の防衛拠点だったのかも
山城だけあって水窪の市街地を一望できた。
山城の麓ってかなりの確率で川が流れていると感じた。
山だから当たり前か。
足助にいったときもそうだったので気になった。
もしかしたら水窪も紅葉がきれいなスポットなのかも。

うおーまた行きたい。
1回言っただけじゃ不満足だと思った。
結構充実してたけど。



4月22日(金)18:37 | トラックバック(0) | コメント(0) | 新浜松 | 管理


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